経歴
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1972年 | 空手を始める |
1977年
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初段を授与される
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1977~1980年および1987~1990年 全イラン ナショナル空手チームに選ばれる
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1985~1987年
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全ホラーサーン空手委員会 技術委員会会長および指導委員会会長
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1987~1996年
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全イラン糸東会空手道協会 技術委員会会員、指導訓練委員会会長および指導主任
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1988~1996年
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全イラン糸東会空手道協会 公認審判員
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1989年
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書籍『空手のパイオニア』(イラン語)執筆
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1990~1992年
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全イラン ジュニア空手チーム指導員
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1990~1996年
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全イラン空手道連盟 公認審判員
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1991~1996年
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全テヘラン空手道委員会 指導委員会会長
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1992年
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居合道(無雙直伝英信流)初段を授与される
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全日本糸東会空手道連盟より公認指導員資格(空手道助教)を授与される
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1993年
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世界糸東流空手道連盟(WSKF)組手および形審判員
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1993~1995年
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全イラン空手道連盟 技術委員会会員
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1993~1996年
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全アゼルバイジャン空手委員会および全ホラーサーン空手委員会 技術顧問
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全イラン糸東会空手道ナショナルチーム 指導員長
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1993~1999年
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全イラン糸東会空手道協会 副会長
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1994年
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第7回アジア太平洋糸東流空手道議会(於:マレーシア クアラルンプール)
第2副会長 |
アジア連合空手道組織(AUKO)組手および形審判員
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1994~1996年
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全イラン空手道連盟 指導訓練委員会会長
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1996年12月
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6段を授与される
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1996~現在
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全イラン糸東会空手道協会 技術顧問
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2000年
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世界糸東流空手道連盟より空手道準師範の称号を授与される(於:東京)
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2004年
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世界糸東流空手道連盟より師範の称号を授与される(於:マレーシア)
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アジア太平洋糸東流空手道連盟(APSKF、本部:マレーシア)副会長(技術)
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2007年
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世界糸東流空手道連盟より練士の資格を授与される(於:香港)
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アジア太平洋糸東流空手道連盟(於:香港) 副会長および技術顧問に再選される
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2008年
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パンアメリカン空手道連盟(PKF)形および組手公認審判員
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オンタリオ空手道連盟(KO)審判委員会委員
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2009年
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カナダ空手道連盟(NKA)審判審議会委員
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パンアメリカン空手道連盟(PKF)形審判員A級および組手主審判員B級
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第6回世界糸東流空手道連盟会議にて同連盟より栄誉功績賞を授与される(於:中国北京)
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2010年 |
パンアメリカン空手道連盟(PKF)組手主審判員A級 |
全日本空手道連盟糸東会および世界糸東流空手道連盟より7段を授与される | |
糸東流空手カナダ(SKC)創設者兼技術ディレクター | |
2012年 | パンアメリカ糸東流空手道連盟(PSKF), 事務局長 |
2013年 | (WSKF) 世界糸東流空手道連盟常任理事の一人に選出される |
2013年 | 世界空手道連盟(WKF)形審判員A級および組手審判員A級 |
2014年 | 空手カナダ (カナダ空手連盟) 審査委員会員(段位) |
世界空手連盟WKF 国際審判 レフリーB | |
2017年 | 世界糸東流空手道連盟より教士の資格を授与される(於:カナダ) |
2018年 | 全日本空手道連盟糸東会および世界糸東流空手道連盟より8段を授与される |
主な戦歴
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1987年
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第1回ヴァハダット国際空手道大会(於:イラン テヘラン)チーム組手優勝
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1992年
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第2回全埼玉県空手道大会 オープン組手第2位および形第2位
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第32回全日本糸東会空手道大会(於:東京)オープン組手第3位
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1993年
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第1回世界糸東空流手道大会(於:東京)形第3位
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1994年
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第7回アジア太平洋糸東流空手道大会(於:マレーシア クアラルンプール)
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チーム組手第2位および形第3位
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1996年
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第11回国際久保田杯(於:カナダ トロント)形優勝
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