A.タンザデ(教士)の経歴
A.タンザデは1960年生まれ、全日本空手道連盟糸東会および世界糸東流空手道連盟(WSKF)より八段を授与される。
1972年より空手の稽古を始め、1977年、12歳で初段を授与される。以来、空手の経歴において早い時期より、その熱意は幾多の場で自身を際立たせることを可能にした。選手として、イランのナショナルチームの選手に数年に渡り在籍する。コーチとしてイランでは、ジュニアナショナルチームを指導、コーチ委員会の委員長に就任した。また技術面においては、全イラン空手道連盟の技術委員会に所属した。著者として「空手の開拓者たち」をペルシャ語で執筆している。
その後、全イラン空手道連盟および全イラン糸東会空手道協会の公式審査員となる。同時期、同連盟のコーチ委員会委員長と主席指導員に就任、また全テヘラン空手道理事会のコーチ委員会委員長に就任した。
やがて空手の道を日本にて追求することになる。1990年から1993年におよぶ日本滞在の間、岩田万蔵先生、村田寬先生、岩田源三先生、山崎隆史先生、坂梨孝美先生、加藤先生などの師匠より指導を受ける機会に恵まれる。更には、日本の空手界においてトップレベルの一つとされる東洋大学にて、岩田源三先生の監督の下、多大な恩恵を受けることになる。日本に滞在する間、全日本空手道連盟糸東会の合宿に参加する機会を得て、村田寬先生、今西俊之先生、野澤幸洋先生、原口高司先生、橋本岩樹先生らの監督下、指導と稽古を受ける。また、宗家摩文仁賢栄先生、崎尾健先生、久富先生、今西先生そして村田先生の指導による全日本空手道糸東会技術講習に参加する。
日本滞在も終わりに近づく頃、1993年3月に開催された第一回世界糸東流空手道選手権大会において、個人形第三位に入賞、長谷川行光と同じ表彰台に立つ。
日本におけるその他の活動として、1992年に無双直伝英信流より初段を免許される。同年、全日本空手道連盟糸東会より助教の免許を授与される。競技大会では、第二回埼玉県空手道選手権大会にて、無差別級組手二位、形においては二位に入賞した。同じ年に開催された第32回全日本空手道連盟糸東会の選手権大会においても、無差別級組手三位に入賞している。
1993年、世界糸東流空手道連盟(WSKF)の組手・形審判、1994年にはアジア空手道連合(AUKO)の組手審判となる。
1994年、第七回アジア太平洋糸東流空手道会議にて副会長に任命される。また、第七回アジア太平洋糸東流空手道選手権大会にて、形競技で三位、団体組手で三位の成績を収める。
1996年、カナダに移民する。移住して間もなく、全イラン糸東会空手道協会の技術顧問の役職を保持しつつ、第11回Kubota杯などの地区・国際大会に参加する。
2000年に準師範、2004年に師範を世界糸東流空手道連盟(WSKF)を許可された後、2007年には錬士の称号審査に合格する。その際提出した小論文「先と受けの五原則」はその分析と実践的な取り上げ方により審査員より絶賛される。2017年には教士の称号に合格する。「タンザデの”運足”敏捷性テスト」、「組手選手の為の速さと敏捷性テスト、スポーツ空手における新しい概念の経験」を小論文として提出している。
2006年、世界糸東流空手道連盟(WSKF)の理事に選出され、2009年には際選出される。その間、2007年にはアジア太平洋糸東流空手道連盟の副会長および技術顧問に選出され、2010年に再選出される。
彼の世界規模におよぶ糸東流空手への顕著な貢献は、2009年8月に中国の北京で開かれた第六回世界糸東流空手道連盟(W.S.K.F.)選手権大会の際の会議において認められる。その業績を称え、誰もが羨望の的とする「殊勲賞」を摩文仁賢栄宗家と村田寬会長より受ける。
現在、世界糸東流空手道連盟(WSKF)の教士称号、そして世界空手連盟(WKF)の組手審判Bと形審判Aの免許を持つ。カナダではオンタリオ地区空手審判委員会の委員長、カナダ空手連盟の段審査委員会メンバー、世界糸東流空手道連盟(WSKF)の正式段審査員および常任理事、アジア太平洋糸東流空手道連盟(APSKF)の技術顧問、パンアメリカン糸東流空手道連盟(PSKF)の事務総長を務める。これらの役職において、タンザデは自身の熱意と世界的レベルの技術を、世界中の空手界に捧げ続けている。
全日本空手道連盟糸東会指導者資格取得審査中 左から: 岩田源三先生、谷口先生、久富先生、摩文仁賢栄先生、崎尾先生、辻川先生、今西先生、村田先生 |